MediaWiki翻訳の統一と青子守歌の処遇
まず、LocalisationUpdateは拡張機能であり、MediaWikiの既定の機能ではないという点はまずご理解いただいていると思います。 つまり、LocalisationUpdate拡張機能を入れているウィキ(のサーバー管理者や利用者たち)は、translatewiki.netがどのような場所で、どのようになっているのか、つまり、改変途中のものが紛れ込む可能性があることなど、それらを分かった上で自己責任で使用されているものと考えられます。 一方、translatewiki.netは「MediaWiki」の地域化を行なうところであり、「LocalisationUpdate拡張機能つきMediaWikiのウィキ」の地域化を行なうところではありません。もう少し一般化すれば、各ウィキが個別にどのように運用されているかの事情は(ほとんど)考慮しない/すべきでない場であ(る|った)ということです。 これが、LocalisationUpdate拡張機能をそれほど重要視しなかった理由です。
また、リリース版が出るという案内は毎回なされており、過去もその案内を目標に作業が進められた(活性化)されてきました。さらに、各リリース版に向けて地域化をおこなうというのは、OSSの地域化では珍しいことではなく、むしろよく用いられる方法です。 ゆえに、それらを無視してまであえて新しい手法を考慮する必要性はなかったでしょう。 これが別の手法を得ればなかった理由です。
過去の説明以上のことは控えている身ですので、「別のアプローチがよいか」については明言いたしません。
MediaWikiとそのユースケースについての特別な考慮をどれくらいするつもりかによってやり方が変わる、といえそうですね。
これまでのご説明で私にとっての疑問点は解消したと思います。ありがとうございました。
>LocalisationUpdate拡張機能を入れているウィキ(のサーバー管理者や利用者たち)は、translatewiki.netがどのような場所で、どのようになっているのか、つまり、改変途中のものが紛れ込む可能性があることなど、それらを分かった上で自己責任で使用されているものと考えられます。(aokomoriuta2011年1月9日 (日) 09:43より引用)
サーバー管理者はもちろん理解したうえで導入しているのでしょう。しかしながら末端利用者が理解していなければいけない話ではありません。また、LocalisationUpdate拡張機能を入れているwikiでの個別の運用事情の問題ではなく日本語として(意味をなさない。|通常使用されない言い回し)であった事が一番の問題です。
日本語話者が読んで意味をなさないものは、LocalisationUpdate拡張機能を入れているどのwikiサイトであってもすんなり受け入れられるものではないでしょう。
あと、本来mediawiki名前空間はそのサイトの一定の権限が無いと変更できないものです。しかしながら、LocalisationUpdate拡張機能を入れているサイトはtranslatewiki.netの翻訳を受け入れて更新されるわけです。したがって言ってみればtranslatewiki.netは、LocalisationUpdate拡張機能導入しているサイトのシステムメッセージ更新のための勝手口的な位置づけであり翻訳者権限はその扉の鍵になるように感じます。したがって翻訳する上でLocalisationUpdate拡張機能を入れているサイトの権限をもつ者と同様に慎重な対応をするべきだと思うのですが?